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運命の曲 リメンバー(フェーム)

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リメンバー(フェーム)
ピンク・レディー20枚目のシングル
12枚目のピンク・タイフーン以来のカバー曲
発売は1980年12月5日
売り上げ枚数は・・・ちょっと書けません(苦笑)
オリコンでも100位以内にちょこっとチャート・インしたほどですから・・・
栄光の日々は遠くに去り、話題にはほとんどならなかった頃の曲です。
でも、この曲にはあるドラマがありました。

1980年といえば、PINK LADYはアメリカでのNBCテレビに出演そして帰国・・最後の大きなプロジェクトを終えた年でありまして、この年の暮れには解散まで秒読みの頃だったのです。(翌年3月解散)

ま、アメリカから予定より早く帰国したことで、次に控えていた第3弾シングルYou Keep Me Hungin'Onはレコーディングを終えてはいましたが、未発売のままで、本当言うと、この曲、フェームも原曲はアイリーン・キャラが歌いましたがこれもピンク・レディーが歌う予定ではあった曲でした。早すぎたPINKLADYの帰国で新人歌手のアイリーンを発掘、歌わせたそうです。

早すぎた帰国というとPinkLadyをスカウトしたポール・ドゥルー氏は次なるスカウトにあのノーランズを選びました。(このブログに記載してますね)

このFameをカバーした時期からして、原曲とさほど変わらない時期のリリースだったことからもお分かりになることでしょう。
これに似たようなことは他にもありました。ダイアナ・ロス&スプリームスの最初のヒット曲「BabyLove」も当初別の歌手が歌うはずだったのが、そちらがキャンセルしてしまったためスプリームスにお鉢が回ってきたそうです。これがきっかっけで1時代を築くスーパースターへと変貌を遂げたのでした。
ピンク・レディーの場合これの逆パターンでありました。運なんてどこでどうなるかわかりませんね。このフェームのヒットでアイリーン・キャラは世界のスーパースターとなったのですから・・・

ひょっとすると・・PINK LADYは逆輸入されていたかもしれません。
逆輸入といえば、PINKLADYはこの時期あの韓国で初LIVEを行っています。
別に逆輸入でもないか・・・ハハ・・
80年といえば、まだ日本語が話せなかった頃のことですよ。考えたら凄いことです。(このこともこのブログに記載してます 記事タイトル サランヘ~釜山港へ帰れ)

本題に戻しましょう。
 でも、この曲は日本語で歌ったからピンク・レディーなんですよね。
解散宣言をした時にはアメリカでのLPからのシングルカット「うたかた」(石川さゆりさんじゃありませんよ~)をこれも日本語詞で歌いこの次のシングルでこのリメンバーが選ばれたことには何か因縁を感じます。いわゆる解散前のポイントとなったのですから。
この曲に日本語詞をつけたのはなかにし礼氏でありますが、原曲のイメージを損なうことなく青春の日々を過ごしたピンク・レディーの今までを振り返るような詩が胸を打ちます。
それこそソウルフルにユニゾンで「やるだけやった」と歌うさまは一時代を築いたものにだけ与えられる栄誉のように感じる。
以前はあまりカバーということであまり好きな曲ではありませんでしたが、今聴くと実に説得力のある曲のように感じます。

最後の絶唱がこのやるだけ~やあった~だったのでしょう。
ちなみにこの曲のジャケット写真もファンには人気があります。
とにかく自然体で明るい笑顔が胸を打ちます人気No.1ジャケットなのです。



ピンク・レディー ベスト・ヒット・アルバム

ピンク・レディー ベスト・ヒット・アルバム

  • アーティスト: 阿久悠,伊達歩,伊藤アキラ,三浦徳子,なかにし礼,糸井重里,Henri Belolo,Michael Lloyd,梅垣達志,Victor Willis
  • 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
  • 発売日: 2003/06/04
  • メディア: CD



「フェーム」オリジナル・サウンドトラック

「フェーム」オリジナル・サウンドトラック

  • アーティスト: サントラ
  • 出版社/メーカー: ポリドール
  • 発売日: 1991/05/01
  • メディア: CD



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